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左ウイングから中盤にコンバート、中学2年の頃に「自分がゲームを作っていると意識し始めた」

「司令塔」という響きには、いつの時代も華やかさを感じるものだ。チームの中心としてボールを受け、ピッチ全体にパスを散らして攻撃をコントロールしていく。時代の流れとともにその姿は少しずつ変化してきたが、日本サッカー史にその名を刻んだ名レフティーはどのように見ているのか。1990年代後半から2000年代前半にかけてジュビロ磐田の黄金期を支え、1998年フランス・ワールドカップ(W杯)に“10番”を背負って出場した元日本代表MF名波浩氏に、自身の代名詞とも言える「司令塔」について話を訊いた。

(取材・文=Football ZONE web編集部・谷沢直也)

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 高校サッカー全盛の1980年代に、名波氏は“王国”静岡で司令塔としての第一歩を踏み出す。小学4年生までは左ウイングを務めていたが、スピードがなかったこともあり中盤へコンバート。そして中学2年生の頃から「自分がゲームを作っているんだと、なんとなく認識し始めた」という。

「自分自身がやりたいことをやり続けたわけではなく、一番前に速い選手がいて、トップ下に上手くて強い選手がいて、右ウイングに足の速い選手、左ウイングにテクニシャンがいたなかで、彼らの特長を活かすためにはどういうボールを配球すればいいかというのを、徹底して考えていた小中学生時代でしたね」

 当時憧れていた選手の1人は、1986年メキシコW杯で見た元アルゼンチン代表MFディエゴ・マラドーナで、同じレフティーとして様々な局面でのプレーを参考にしたという。もっとも、司令塔としての視点で見た時、名波氏のモデルとなったのは高校サッカーのスター選手だったようだ。

「高校サッカーがものすごくメディアで露出される出身地なので、静岡県で言うと清水東高校だったら大榎(克己)さん、東海大第一(現・東海大静岡翔洋)高校だったら澤登(正朗)さん。この2人のプレーにすごく引き込まれて、ゲームメーカーたるやこういう感じなんだと、立ち振る舞いも含めてカッコいいなと思い、見よう見まねでいろいろやってましたね」

 そんな名波氏にとって、司令塔というポジションの醍醐味はどんなところにあるのだろうか。

「一つはボールが確実に集まってくるポジションだというところ。あとは劇的に局面を変えるチャンスが一番たくさんあるんじゃないかというところ。それと対戦相手の目線で言ったら、一番ケアしなくてはいけない選手だと思うので、相手にも注目されるポジションだというところ。プロで言ったら、勝ち点に直結するような選手がいるべきポジションだなと思います」

転機となったB代表の1996年デンマーク遠征

 かつて司令塔と呼ばれる選手は10番を背負い、トップ下でプレーすることが多かった。「僕自身、あまり10番っぽいと思ったことがなかった」という名波氏も、小学生時代から思い入れのある「7番」を付け、中盤の攻撃的なポジションでプレーしていたが、プロ入り後に一つの転機が訪れる。

「1996年のデンマーク遠征に、当時B代表という24歳以下日本代表で行ったんです。僕は23歳の時だったんですが、そこで3試合くらいボランチで出て。後にゾノ(前園真聖)が代表に入ってきて完全にボランチになって、今度はヒデ(中田英寿)が入ってきて、そのままボランチって感じでしたね」

 名波氏自身、1990年代に入ってからの戦術面での変化、そして司令塔のプレーエリアが下がりつつあることは感じていた。

「中盤でのハイプレッシャーとマンマーク。1986年と90年のW杯でも、マラドーナは特に西ドイツ(当時)との決勝ではマンマークに苦労していました。中盤のエリアでハードなマーク、人数をかけられる守備をされがちな司令塔をトップ下から一つ下げることによって、フリーエリアが少し広がり、広範囲に、広角に配球できるという流れはあったと思います」

 そうした時代の流れのなかで、名波氏は中盤の2列目とボランチの両ポジションでプレーをしていくことになる。それぞれ異なる環境下で、「司令塔」として求められる役割を全うするために細かい部分まで追求していった。

「10メートル景色が変わるだけで、相当違いがあるなと。具体的に何かと言ったら、やはり2列目のほうがプレッシャーを受けるぶん、前への選択が難しくなる。ということは、どのアングルでボールを受けても前方にパスを出したい時、受け手との間に阿吽の呼吸がないと、なかなかボールを前に運べなくなってしまう。(相手を)背負った状況でどうプレーするのかというのを、とことん追求していた2列目の時に対して、一つ下がった2.5列目のようなボランチの時は、もう少しハーフターンできる時間があり、視野を広く確保できるので、そのなかでどこにボールを運んだら相手が一番嫌がるかという部分を徹底していた感じですね」



“現代チック”な司令塔の例に挙げたシティMFケビン・デ・ブライネ【写真:Getty Images】
“現代チック”な司令塔の例に挙げたシティMFケビン・デ・ブライネ【写真:Getty Images】

“現代チック”な司令塔は「アタッキングサードでいろんなことができる選手」

 左足から繰り出される美しいパスで攻撃陣を巧みに操り、日本サッカー界で一時代を築いた名波氏だが、現代でお気に入りの司令塔はどんなタイプの選手なのだろうか。「やっぱりシャビ、イニエスタは凄いですよね」と、2000年代以降のバルセロナとスペイン代表の黄金期を支えたMFシャビ・エルナンデス、MFアンドレス・イニエスタ(現ヴィッセル神戸)の名前を真っ先に挙げた名波氏は、「現代チックな選手なら」と語り選手名を列挙した。

「マンチェスター・シティの(ケビン・)デ・ブライネは、ものすごく現代の司令塔という感じだよね。今風なアタッキングサードでいろんなことができる選手。あとはラツィオのルイス・アルベルトと、マンチェスター・ユナイテッドのブルーノ・フェルナンデスかな。この2人は10番っぽいというか、昔いてもおかしくないようなタイプ。足下でもちょこちょこできるし、スルーパスもバーンっと出せて点も取れる」

 名波氏によれば、現代の司令塔にはフィジカルや縦への推進力を備えた選手が多く、また「攻守の切り替えのなかでファーストディフェンダーとしてボールを奪える、守備の上手い選手」も目立つという。その代表例として挙げたのは元スペイン代表MFダビド・シルバ(レアル・ソシエダ)で、「体は小さいけどクリーンにボールを絡め取っちゃう」と評している。

 また配球役としては、リバプールのスペイン代表MFチアゴ・アルカンタラの名前も挙げ、「ボールを1試合で200回とか受けるような選手だからね。1分に2回以上回ってくる計算だから、ものすごい経由率」と脱帽。Jリーグでは元日本代表MF遠藤保仁(ジュビロ磐田)が長年、司令塔タイプの代表格として君臨しているが、名波氏は川崎フロンターレのMF大島僚太の名前も挙げて期待を寄せた。

「現代サッカーでは、とにかく“遊び”がなくなっている。サイドを個で打開したり、相手が揃う前に一か八かのクロスを上げたりするシーンも、ヨーロッパの試合を観ていたら多い。休めない、休ませないようなサッカーが主流」と分析した名波氏。変わりゆく戦術トレンドのなかで、新時代の旗手となるような司令塔の活躍を望んでいた。

[プロフィール]
名波浩/1972年11月28日生まれ、静岡県出身。順天堂大学を卒業後の95年にジュビロ磐田に加入し、左利きの司令塔として黄金期を迎えたチームの中心として活躍した。Jリーグ通算331試合34得点、Jリーグベストイレブンに4度選出。1999-2000シーズンにはセリエAのヴェネツィアでプレーした。日本代表としても国際Aマッチ67試合9得点の成績を残し、1998年フランスW杯には背番号10をつけて出場。2000年アジアカップではMVPを受賞し、日本の優勝に大きく貢献している。08年に現役引退。14年から19年まで磐田監督を務めた。


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